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書いてる野郎
orebike@gmail.com
日本語とベトナム語を完璧に現地人と同様に使うことができるベトナム人はかなり少ないようだ。当然その日本人は皆無である。
日本育ちのベトナム人は多くが完全に日本人化してしまってバイリンガルにはなりにくいようだ。
ネイティブ以上の正確な発音で喋らないと単語単体ではまず通じない。 なので覚えた単語を実践で活かすには相当長い道のりを要すので、心が折れる。
ベトナム在住の企業駐在員がほぼ全員ベトナム語を日常会話程度もマスターしていないのは、 最初は勉強に気合が入るのだが途中であまりの通じ無さに心がボッキリ折れてしまうからだ。
例外はベトナム人を彼氏や旦那に持つ女性駐在員である。彼女らはかなり喋る。
思うに語学をマスターするには目的のないダラダラ会話をとりあえずある程度の量を続ける必要があるのだなと。 そして男は全般的にそういう会話は日本語でも苦手である。
男でベトナム人彼女や嫁さんがいる場合はそもそもベトナム人側がかなりうまく日本語を喋る場合が多いのでそれで満足してしまってやはりマスターできないのである。
発音が難しいということは、それすなわち聞き取りも難しいのである。
それだけでなく、ベトナム人の日常会話というのは非常にハイコンテクストなのである。 日本の文化も空気読むとかでそれなりにハイコンテクストではあるのだが、 ベトナムではそれが度を超えている。
文化を理解しているのは当然として、そのグループや個人の理解が非常に求められるのである。 はっきり言ってエスパー級の共感能力が必要になる。
そのへんのベトナム人の会話に参加できないのは当然といえば当然なのである。
ベトナム人もそのように感じているっぽく、 ベトナム人の会話を聞いていると、なんだか聞き返しが多いような気がする。
この傾向は知り合いになってしまって、こちらがしゃべる場合は有利にはたらく。 適当にしゃべるだけでなんとなく理解してもらえるのである。 特に個人間のチャットなどでは、本当に最小のタイプで意思が伝えられるので日本語よりも楽なぐらいである。
これの反動的なこととして、逆に文章になると不特定多数に正確に伝えないといけないという目的があることが多いので、ベトナム語は喋り言葉で使わないような難しい単語を長大に並べて長く長くなる傾向がある。これはこれで難しいのである。
語学はモノマネであるとわかってきた。何かの単語を言うときに文字から勉強したモノというのはどうしても通じないことが多い。 よく通じるのは、知り合いのベトナム人のモノマネをするように話すと通じやすいし覚えやすい。 文法的な意味やら構造よりも形態模写である。
ベトナム語はとにかく1個の単語の情報密度が薄いので、必ずいくつかの単語の塊で使わないといけない。 これは何かというと日本人感覚からすると漢字を覚えるに近い。 個々の意味を考えるのではなく全体で1個の意味として覚える
「Lo vi song」とか「Lo banh mi」とかいう単語がある。
前者は「電子レンジ」で後者は「ベーカーリー」という意味である。 この単語群のポイントは「Lo」にあるわけだが、これは漢字の「炉」のベトナム語読みになる。
しかし、単に「Lo」と言われてもベトナム人ですら「炉」の意味で捉えることは難しい。
ベトナム語とはこういう塊にならないと意味が判別できないものがやたらある言語なんだと。
こういうモノは日本語では漢字になる。欧米人とかにとって、意味の数だけ文字を覚えるなんて狂ってるように思えるが、日本人は普通に使いこなす。そういうモノだと思えばヨイ。英語なんかとは少し感覚が違う。